作業療法士が語る 作業療法

私は作業療法という仕事が「凄い」など他の仕事や職種と比べて特別だと思ったことは一度もありません。自分のモチベーションは仕事の内容に対して向いているのではなく、自分の知識や技術を通して患者さんが楽になったり、良くなったりすることを患者さんと共有できたことから湧いています。これは以下に述べるエピソードが大きく関与していると思います。私の通っていた専門学校は夜学だったので、昼間は病院で働いていました。仕事内容は作業療法助手、手芸の先生みたいな業務でした。30年も前なのに鮮明に覚えていますが、ある時一人の入院患者さんに“先生、悪い方の肩が痛いんだけど何とかなりませんか?”と言われて、その時少し考えた後に自分に対処ができないことが分かり、“この作業に集中すれば痛みは忘れますよ”と返答しました。その時その患者さんは諦めと納得の混ざった複雑な顔で数回頷いていました。その時の答えは間違えではないと今でも思いますが、根本的な解決ではないことも理解していたので、申し訳ない気持ちと不甲斐ない気持ちと悔しさが混在した何とも言えない気持ちが沸きたち、作業療法士になったら絶対こういう声を受け止める心と技術を身につけたいと強く思いました。そして、その両方がまがりなりにも獲得できた今だから思うのですが、本当の意味でこの出来事が作業療法士になれた起点だと思っています。作業療法は分野により、また治療概念により様々な方法論や技術があります。そのため作業療法をひとまとめに語ることはできませんが、作業療法という仕事は「患者さんと生活をつなぐ仕事」だと思っています。私が臨床経験のなかで多く接してきた患者さんは一見すると何気なく過ごされているように見えますが、実際には患者さんとその患者さんを取り巻く生活環境や課題の間には大きな溝があります。作業療法士はその溝の渡り方を患者さんに指示(教示)するのではなく、「患者さんの全てを受け止める心で」で、どうして渡れないか共に悩み、共に考え、「作業療法の技術」で、作業活動や徒手的な手段を通して渡れるよう運動能力を高め、それでも足りない時は自助具等で補って、何とかその溝の両端をつなぐ橋を作り、そして、その患者さんが一人で何とか橋を渡る姿を後ろからいつまでも見守ることが仕事だと思っています。

我々医療職は病気の人がいることで成り立っています。言いかえれば人の不幸から始まっています。だからこそ私たちの知識と技術で不幸の「不」から一角ずつ取り除き、幸せな人生に導けることを心から願っています。